宮城県登米市・豊里コミュニティ推進協議会

豊里にあがらいん
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豊里の歴史・文化

『豊里の人間国宝』第2号決定


 

 

豊里コミュニティ推進協議会と豊里地域づくり委員会による地域づくり事業『豊里の人間国宝』の第2号が決定しました。豊里町のシンボルとも言える竈神様(カマガミサマ)のイラストをたくさん描かれ5年前に亡くなられた故伊藤徹郎さんです。生前は薬店を営んでおられたので、店の名前にちなみ「伊新さん」と呼ばれ多くの方に慕われておられた方で、絵だけでなく社会教育、社会福祉分野でも町の発展に多大な功績を残されました。本日、ご遺族の代表として娘の伊藤恵里さんが公民館に来られましたので、認定証を進呈させていただきました。公民館ではこのように既に亡くなられた方でも功績があれば『豊里の人間国宝』になっていただきます。あなたの周りや知っているひとで素晴らしい人、ちょっと面白い人、凄い特技をお持ちの方はいませんか?自薦他薦を問いません。但し、副賞や立派な楯などはございません。小さな認定シール一枚だけですが、それでもよかったら応募・申請を宜しくお願いします。

豊里の人間国宝 第2号
故伊藤徹郎さん(上町地区)

 竈神様の絵をライフワークとして生涯描き続けてこられ、5年前に亡くなられた伊藤徹郎さん(故人:昭和2年3月2日生まれ、享年84歳)。1月11日に娘の伊藤恵里さん(豊里町新田町)に公民館まで来ていただき、集落支援員の川谷清一が取材しました。

 豊里の住民さんなら子どもの頃から馴染みのある竈神様は、かまどの神様として台所に祀られていた黒い顔の大きなお面です。同じ竈神様でも地方によっては材質や表情も違い、豊里では土をこねて作られ目がアワビの貝殻というパターンが多いのが特徴です。豊里町のマスコットと親しまれている「カマガミ君」のイラストも、伊藤さんが描かれたものがモチーフとなり使用されています。また、今年3月に上演される豊里町を題材にした市民参加の創作劇「竈神様の置き土産~豊里町おこし物語」(夢フェスタ水の里)のポスターにも伊藤さんの描かれた竈神様の絵が使用されています。
 地元では、長らく薬店を経営し、町の人たちから屋号の「伊新さん」と呼ばれ親しまれていた伊藤さんは隣の登米町出身で、ご実家は今でも弟さんが後を継ぎ「伊新薬局」を経営していますが、伊藤さんは最初から薬局をしていたわけではありません。旧制岩手工業高等専門学校(現在の岩手大学工学部)を卒業後、盛岡市で鉱山関係のお仕事に就かれ、奥様とお見合いで結婚。その後、地元に戻り中学校で数学の教員として勤務されました。生徒たちには優しくユニークな授業で親しまれたそうですが、30代で惜しまれながら退職し、豊里町で薬店を開業。先生を辞めるときには「辞めないで」という嘆願書が出されたそうです。
 昔のことで、娘の恵里さんは当時まだ生まれておらず記憶にないそうですが、薬種業の免許を取るなど苦労されたようですね。でも、その頃から伊藤徹郎さんは地元への思い入れが強くなり、様々な役職に関わり町と子どもたちのために尽力されます。教員経験を活かし、それまで豊里町になかった進学塾を開校。その塾の卒業生は現在も町内で活躍中など、優秀な人材を多数輩出してきたそうです。塾は途中から交友のあった守屋さん(現モリヤスポーツ経営者)に託し、その後も活躍のフィールドを広げます。平成14年には、それまで豊里町になかったシルバー人材センターを立ち上げるなど尽力。現在ある社会福祉作業所「工房なかま」の前身「あけぼのハウス」の設立にも全身全霊を捧げ奔走されました。持病を持ちながら命を削るような奉仕活動に没頭し、教育や社会福祉分野への貢献・功績が数多い中、特に障害者や社会的弱者への深い理解と愛情を持ち活動してこられた伊藤さんを慕う人たちはいっぱいおられました。
そんな父親の苦労を遠く離れた東京から見ていた恵里さんですが、平成23年、東日本大震災があった年の6月に父の末期癌を宣告され、余命半年と言われながら本人には知らせず故郷・豊里に戻り看病を始めます。同じ頃、今度はお母様が脳出血で倒れ、そこから両親の介護が娘の恵里さんの肩にのしかかります。親の介護に明け暮れる毎日。その苦労は想像を絶する苦難の連続であったと思われます。
 恵里さんの看病と周囲の励ましも空しく、伊藤徹郎さんは平成24年1月2日に息を引き取られます。余命半年の宣告から8ヶ月目のことでした。
今回、恵里さんに『豊里の人間国宝』第2号に認定したい旨お伝えすると、とても喜んでもいただけました。生前には何らかの表彰も受けていたはずですが、自慢をすることが嫌だった伊藤さんは、表彰状などを家に飾ることはせず、生涯に渡り自分のことよりも人のこと町のことを思い、「次世代を託す子どもたちのことを考えて、今を変えていかなければ」と常々口にしていたそうです。
 公民館の佐々木耕悦館長は、45年前にまだ若かった伊藤さんと一緒に役場の職員と旅行に行った時の思い出を懐かしそうに語ります。静かで穏やかな人だけど、きちんとした意見を持ちはっきりと話す人というイメージだそうです。工房なかまでも陶芸釜の導入後、技術指導するなど活動。写真は宮城県主催「熟年学級」で竈神複製の指導中のお姿です。友人の西條忠幸さんが伊藤さん没後に作られた追悼作品集を見ても、たくさんの絵画作品、漫画を残されていたことが分かりますね。娘さんが見ても知らない作品が多くあり、生前、描いたものや作った物は、ほとんど人にあげていたというエピソードも頷けます。
 今回の取材は娘さんからの聴き取りに加え、葬儀の際に読まれた工房なかまを支援する会代表・浅野哲男さんの弔辞を参考にさせていただき、筆に尽くしがたい多くの功績を残された故伊藤徹郎さんの経歴のほんの一部ですが、拙い文章で紹介させていただきました。最後までお読みくださり感謝いたします。

豊里コミュニティ推進協議会のfacebookでも写真をアップしていますのでお読みください。https://www.facebook.com/plugins/post.php?href=https%3A%2F%2Fwww.facebook.com%2Ftoyosatokominkan%2Fposts%2F1796906667238769&width=500


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