宮城県登米市・豊里コミュニティ推進協議会

豊里にあがらいん
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人・ひと・豊里

『豊里の人間国宝』第13号

女川コバルトーレキャプテン

 成田星矢さん(白鳥行政区)

今回紹介する『豊里の人間国宝』は現役のサッカー選手。社会人リーグ、女川コバルトーレのキャプテン、成田星矢さんです。

青森県出身で、1986年5月31日生まれの31歳。サッカーを始めたのは小学校4年生の時。青森県立三本木農業高等学校では、3年連続で県予選決勝まで進みましたが、当時から私学の雄・青森山田高校の強さが際立っていて、一度も勝てなかったそうです。

高校卒業後は地元に残り、高校OBたちで作るサッカーチームに所属していましたが、2007年、21歳の時に仕事で女川町にやってきて、チームの存在を知り、もう一度真剣にサッカーをやりたいという気持ち抑えきれず、セレクションを受け、仕事を辞め、コバルトーレに入団。奥さんとは、翌2008年、友人の紹介で出逢い2011年に結婚。式は挙げないままに奥さんの実家、登米市豊里町に移り住みます。現在は、両親、祖父と奥さん、子ども3人と計8人の大家族で暮らしておられます。

2011年3月11日、東日本大震災が起き、女川町は未曾有の被害を受け、職場の高政かまぼこ工場も壊滅的な状況となりました。成田さんは高台に避難し助かりましたが、グラウンドも被災し、練習するどころではなくなります。当時の状況はHPのインタビュー記事で詳しく書かれています。

 

     ポスターの写真前列中央が成田選手

 

◆僕が町に残った理由

仕事をしていた時だったので、ちょうどそこで地震が来て、みんなでとりあえず高台に避難してクルマで一夜を明かして。町を見に行ったのは次の日の朝です。正直なにも思わなかったです、唖然としていたというか。本当に、なにこれというのがその時の感じかな。見たこともない光景だったので何も言えなかったです。その時に選手や関係者はみんななんとか無事だというのは確認できて、じゃあ僕たちは何をするのかと思った時、比較的ぼくたちは若くて体力もあるので(笑) 最初に始めたのは道路の掃除だったと思うんですよね。まだ道路はぐちゃぐちゃだったので避難していた学校から竹ぼうきを持って行って履いたりしているうちに色んなところから「手伝ってくれ」と言われるようになって、じゃあみんなでやろうと。給水活動だったり、僕が働いていた会社でかまぼこを作って避難所に配ったりということを始めましたね。そんな中でチームが活動休止となって、別のチームでサッカーがしたいという人もいたし、僕は青森の家族からは帰って来いと言われたんですけど、ここの人たちともう一回一緒に町を作って、みんなで盛り上げていけたらいいかなと僕は思っていたので。この町はすごくこの町はいいとこだな~と。みんなはよく「好きだから」っていうけど、僕はそういう表現は違うのかなと。好きなんだろうけど、本当にただ居心地がよかったとかそういう感じなので。なので僕は残りました。

「震災をきっかけに、町とのきずなが強まったんですか」という質問をしたところ、成田選手の答えは、大変印象的なものでした。

◆震災がきっかけで絆ができたわけじゃない。

うーん、そうですね。それも良く言われるんですよね。震災が大きな分岐点になったのかと。僕はそんなことは無いと思う。元々僕たちもそうだし、その前からいた人たちが作り上げた繋がりは元々あるものであって、積み上げてきたものが続いているだけだと思います。リーグ戦再開というか、復興祈念試合というので震災の都市の12月に女川の陸上競技場が使えるようになって試合をやったんですね。その時に試合に勝って、「ありがとう」と言ってくれる人もいましたね。泣いている人も。それは本当に素直にやってよかったなって思うのと、逆にこっちはサッカーを続けさせてもらってありがとうという感じでした。

 コバルトーレ女川の選手たちは、みな地元企業で働いています。成田選手も練習や仕事先の様子がテレビで取り上げられましたが、勤務時間は早朝4時から5時と早く、冬場は真っ暗なうちから家を出ます。奥さん手づくりのお弁当を2食分作ってもらっているそうですが、体が資本なので食生活には気を遣うでしょうね。仕事が終わるのは午後4時頃ですが、年末のお歳暮のシーズンなどは残業も増え、サッカーの練習時間までは、会社の中で時間をつぶすことが多いそうです。普段の練習は週5日、夕方6時半頃から始まり、家に帰るのは夜の10時を過ぎます。女川町から豊里町まで、かなりの距離なので大変です。休みは月曜日だけ、日曜日も試合で遠征することが多く、体が休まるときがありませんが、5歳、3歳、1歳と3人の子どもがいるので頑張っているそうです。取材の日は、ちょうど保育園に通うお子さんの発表会が公民館であり、朝早くから席取りに並んでいました。真ん中の男の子は、夏祭りのランニングバイク体験会にも参加してくれていましたが、元気いっぱい。ボールを足で蹴るのも上手く、お父さんの運動神経を受け継いでいる様子。ほとんど家にいる時間がなく、お子さんと過ごす時間もないと思うのですが、子どもたちはみな、お父さんが大好きで甘えます。奥さんといっしょに家族で写真に収まってくれました。

 

 成田選手はチームでは最年長。今シーズン後半は、半月板を痛めてしまい、ゲームにフル出場する機会は少なくなりましたが、ファワード・キャプテンとしてチームを引っ張り、所属するコバルトーレ女川は、設立から10年を経た「おらほのチーム」として、11月25日のホーム最終戦で悲願の初優勝を手にしました。このときの試合を新聞各紙が下記のように報じています。

 

耐えた女川 歓喜… アマチュア最高峰リーグ・JFL昇格 読売新聞

 

 女川町で活動する社会人サッカーチーム「コバルトーレ女川」が11月26日、全国地域サッカーチャンピオンズリーグで優勝し、来季のJFL(日本フットボールリーグ)参入を決めた。千葉県市原市内で行われた最終戦には、地元から約150人のサポーターが駆けつけ、選手たちの健闘をたたえた。

 引き分け以上で昇格が決まる中で迎えたアミティエSC京都との最終戦。コバルトーレ女川は序盤から攻め込まれ、さらに50分に1人退場して残り40分間を10人で戦う厳しい展開に。それでも相手の猛攻を耐えしのぐと、81分に高橋晃司選手がフリーキックのこぼれ球を右足で振り抜き待望の先制点。少ないチャンスで得た1点を最後まで体を張って守り抜いた。

 試合終了の笛とともにサポーターは肩を抱き合って喜び、この日一番の声援を送った。応援にかけつけた女川町の須田善明町長も選手たちと抱き合って祝福し、「涙が出るほどうれしい。チャレンジし続ける選手たちの姿は、まさに町の象徴です」と話した。

 成田星矢主将(31)は「ここまで長いみちのりだったけれど、町のおかげでこの舞台にも立てた。昇格で恩返しができた」と感謝していた。


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