宮城県登米市・豊里コミュニティ推進協議会

豊里にあがらいん
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『豊里の人間国宝』第5号

青少年育成と子ども会指導者
鈴木 道子さん(上町地区)

 


 青少年の健全育成に半世紀以上関わってこられた鈴木道子さんは昭和8年6月25日生まれ。生まれも育ちも東京でしたが、軍人だった父親が当時の陸軍省に勤務していた影響で、軍歌を聞きながら大きくなったと話されます。そんな環境で育った鈴木さんは、戦後、社会に出る中で青少年教育の重要性を痛感されます。初めて子ども会の活動に関わったのは昭和36年、当時、東北電力に勤務していたご主人の英雄さん(故人:昭和53年に逝去)の転勤により、栗原市若柳で暮らしていたときのことです。お子さんは男女2人おられ、長女が高校入学直後に夫の英雄さんが亡くなり、若柳から花山へと移り住んでも、ずっと子ども会の育成活動は継続してきました。
 昭和46年に豊里町に引っ越してきましたが、当時の豊里町には育成会組織がなく、上町地区の子ども会保護者会の佐藤健一会長から協力してほしいと要請があり引き受けることに。昭和49年には豊里町にも子ども会育成会が設立されますが、当時は旧小学校が4校あり、それぞれの学区ごとに育成会が設立されたため、全町の統一組織が存在しませんでした。また、子どもたちの安全確保には、宮城県子ども会育成会に加入する必要があったのですが、豊里町に統一組織がないために加入できず、鈴木さんを中心に新たな統一組織設立が図られたのです。鈴木さんは昭和47年の「県子連」創設当時から関わっており、まさにその半生を青少年の健全育成に捧げてこられたと言っても過言ではありません。
 昭和63年2月には「全子連」による全国表彰、その後も献身的な青少年育成活動に対する「善行表彰」(平成3年11月)、宮城県知事より「みやぎのお母さん表彰」(平成7年5月)など受賞歴は数え上げればキリがありません。子ども会活動で障害児が行事に参加できないということがあり、心を痛めた鈴木さんは、その後、工房なかまの前身である「あけぼのハウス」の支援活動にも精力的に関わり、通所する障害者たちを積極的にお世話してこられます。ご主人が若くして亡くなられたあとも、苦労してお子さん2人を育て上げながら、町子連事務局長を長年務めた功績は多大であり、83歳になる今でも顧問として後進の指導と子どもたちの育成活動に携わっておられます。豊里町のお子様を持つ住民なら誰でも鈴木さんのお世話になったはずで、まさしく町の宝、『豊里の人間国宝』にふさわしい方だと思います。

公民館facebookでも詳しい写真レポートをアップしています。

 

 


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