宮城県登米市・豊里コミュニティ推進協議会

豊里にあがらいん
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豊里の歴史・文化

とよさと昔話(大蛇屋敷のお話し)


大蛇屋敷のお話し 

 竹花の山畑の平らな屋敷跡を・・・・大蛇屋敷(うわばみやしき)という。

その屋敷の先祖が木挽きであったという。

ある時、登米にのこぎりの歯やきに行った(のこぎりの歯があまくなってきたのでやきいれをすること)。歯やきが終わりいっぱい気分でのこぎりを背負って近所の人と一緒に四方山の話をしながら歩いて帰ってきた。すると平筒沼の堤防のところまで来ると頭を平筒沼の方に向けて通路にぶち渡しになって寝そべっていたうわばみ(大蛇)がいた。何れは剛情の男だったらしい。「なあんだ今朝、登米に行くとき誰も松の木を倒さなかったが、こりゃ、だれが倒したか松が転んでいるぞ」そして先ず大蛇の背中にをどっこいしょと声をかけて超えたけれど、友はひゃっとしながら、大急ぎで超えて行った。木挽だってもちろん本当の松の木だと思っていたわけではなく、ハット思ったけれど、酒を飲んでいたので、気持ちが大きくなったらしい。よしきたとその木挽は背負っていたのこぎりを降ろして 「歯やきした前びきがどの位切れるか、この松の木引いて見っから、いっとき待ってろちゃや~」

 「やんだ!「やんだ!きさま、うわばみ(大蛇)など引いて、かえって、どんぐりげえって、きさま・・・・殺されんなよ!、ああやんだやんだ」

と弁天島から離れて、こっちの山のひんまわし目に尻ついて、その様子をみていた。一方の木挽は「よぐもきさまこごにけづがった」と両手に力を入れて、のこぎりを握りしめ、もと歯を引っかけ、思いっきりゴリーンと引いたら、その松の木、丸太のような大蛇は、かくのふた(約15㎝)の様なこけら(うろこ)を3枚落として、かま首をもたげ悪気(人に災いをなす気)を吹っかけて来た。木挽はのこぎりを捨てて一目散に家の方に逃げた。追われて逃げること約30分位、息せき切って保手の灰塚の庚申様のうしろにかくれた。大蛇は次第に近づいて来るので木挽は丸くなって、呼吸も止めんばかりに静かにして庚申様に「どうかお助け下さい」と心を込めてお祈りした。大蛇は、この辺に木挽がかくれてなあと探したが、庚申様に近づくことができず、そのままずるずると音をたてて、苦しそうにして山を越え谷を越えてブス沢まで、たどりつき(大蛇は黒金(鉱)が体に入ると毒となり死んでしまう)七日七夜悩んでついに「俺をこの様に悩ませた以上は俺もたたるぞ」ということをその時言って柳の大木の根元に頭をのせ往生(息を引き取った)した。

 やっとのことで家に帰ったが頭の髪は全部抜けてしまい、もっけい病み(その為になやんで病気になること)して遂に死んでしまった。

 木挽の家では毎年毎年病人が出たり、ろくなことがないので祈祷、まつりしてもらったところが、大蛇のたたりだということが判った。「俺だって、何も悪いことをしたわけでもないのにあそこを通りかかった時に人の来る気配がしたので、じっとして止まっていた。ところが黒金を背おわせられてしまって、遂に俺もこんな難儀をして死んでしまうからには、七代たたる。七代の家族に難儀をさせてみせる」と出た。そこの家はこの祈祷の通り、やっぱり七代経ない中に死に絶えてしまって、今日の様に空屋敷になってしまったという。

 ところでブス沢の水は毒水だから、のむなと云われているのは、その位たたる大蛇の水が流れて来るのだからと言う言い伝えができたのだろうと云われている。名前もブス沢では感じが悪いので笑沢(えみざわ)と改名されいる。

また、一説には登米君公の芋狩り御成りに際し、里人ぶす沢にては縁起よろしからず「笑」(えみ)の字をつけたという。


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