豊里の歴史・文化
とよさと昔話(蛇追紙のいわれ)
蛇追紙のいわれ
昔、板谷の才兵衛という人が住んでいた。その頃、大きなうわばみ(大蛇)がおったというが、それを板谷の才兵衛が鋼弓を持って、退治に向かった。一の矢が急所をそれて当たらなかった。さあ才兵衛逃げて、大急ぎ、家の中にはいり込んで、ぎっしりと門をしめてしまった。大蛇は、はでになって来て門の前に突立上がって(多分中門であったか)門を乗り越えようとしたが、その門には諸社のお札がいっぱいはってあったし、お正月のわらふさ、と紙とが掛けてあった。さすがの大蛇もこれには恐れをなして門をのり越えかねてしまった。その時、家の中からニの矢をこめて、ぶったが当たらず、三の矢をつがえ、大蛇がぐっと鎌首をもたげて、のび切ったところを見事射てしとめた、という。これはお守りのお札と、しめ縄が尊く、大蛇が入りかねたのだという事がわかったそうである。
それで、このお正月の紙を「蛇追紙」(邪追紙)といったのだと!「ホイホイ紙」とも言っている。
正月十五日の早朝、邪追紙(蛇追紙)を竹の先につけて屋敷内を廻りながら、「生ぐろ渡る黒ガラス、遠島さぼってやれホ~イ ホイ ホ~イ ホイ ホ~イ ホイ」現今で虫除け、カラス除け、農作業に邪魔になるものを除く・
「豊里町史より」