豊里地域づくり
『豊里の人間国宝』認定事業がスタート
豊里コミュニティ推進協議会と豊里地域づくり委員会による地域づくり事業『豊里の世界遺産』に続き、栄えある『豊里の人間国宝』第1号が決定しました。西二ツ屋地区にお住まいの佐藤登さんです。本日、公民館佐々木館長から認定証の交付式がありましたので紹介させていただきます。
豊里の人間国宝 第1号
佐藤登さん(西二ツ屋地区)
注連縄と藁にお(しめなわとわらにお)作りの名人
豊里公民館、豊里コミュニティ推進協議会ではこの度、豊里町にお住まいの方で、ちょっと珍しい特技を持っておられる方や、素晴らしい活動をしておられる方、周りの人たちから感謝や尊敬をされている人など、町の宝物のような人物・人材にスポットを当て、広く市民の皆さんにも知ってもらおうという取り組みをスタートさせました。その名も『豊里の人間国宝』。国や宮内庁が制定するような立派な賞ではありませんが、ちょっとした洒落と遊び心で取材させていただき、その功績が素晴らしいと認められた人を勝手に公民館が「人間国宝」に認定してしまうという楽しい企画です。また、人物以外にも豊里が世界に誇れるような場所、名勝、記念物、お店等、推薦があれば取材にうかがい、同じように顕彰する事業も同時にスタートさせます。こちらは、その名も大きく『豊里の世界遺産』です。どちらも毎月一回のペースで探し出し、ぼちぼち・ゆっくり発掘していけたらと考えております。自薦・他薦を問いません。この人、あの場所・・・候補にふさわしい人物や場所が思い浮かべば、豊里公民館までお知らせください。なお、この顕彰事業には賞品も賞金もございません。名誉もないかも知れませんが、対象者には認定証シールが一枚授与されます。また、取材の記事とお写真を豊里コミュニティ推進協議会のホームページやフェイスブックで紹介させていただきます。同時に、毎月一回発行される「公民館だより」でも紹介させていただく予定です。趣旨をご理解の上、この事業を住民の皆様で盛り上げていただけるとうれしいです。宜しくお願いします。
というわけで、今回、栄えある第1号の『豊里の人間国宝』さんが決定いたしましたので紹介します。
西二ツ屋地区にお住まいの佐藤登(さとうのぼる)さんです。昭和2年10月16日生まれの89歳。12月1日に公民館長の佐々木耕悦と集落支援員の川谷清一が2人でご自宅にうかがい取材してきました。
息子さんのお嫁さん・悦子さんといっしょにお話しをお聞きしましたが、なんと言ってもお年に見えない若々しさに驚きました。それもそのはず、佐藤さんは週に3日以上、グラウンドゴルフだけでなく、パークゴルフ、ゲートボールにも参加しておられます。ホールインワンは毎回、85歳の時には、豊里町で開催されたグラウンドゴルフ大会で優勝もしておられます。登米市の介護保険組合が主催する大会では3位入賞も経験されたことがある、スーパーおじいちゃん。3人のお子さんに恵まれ、孫が6人、ひ孫が7人だそうです。お孫さんが通う小中学校では、しめ縄作りや竹とんぼ作りもボランティアで指導しておられるそうで、新聞に取材されたこともあり、豊里町内で知らない人はいないという有名人です。
野菜作りは今でも現役ですが、佐藤さんの一番の特技は「藁(わら)にお」作り。40年以上前までは当たり前のように農家で作られていましたが、機械化が進みコンバインを使っての稲刈りでは、稲藁が稲株から細かく裁断されて田んぼに落ちていくため、長めの藁束は珍しく貴重で、全国でも作っている地域は数少ないそうです。元々は稲藁を長期間保存するために、円柱状に高く大きく積み上げ、藁で作った円錐形の屋根を乗せたもので、家畜の餌や堆肥づくりに使われていました。ちなみに稲穂を積み上げたものは「穂にお」(ほんにょ)と呼ばれていて、こちらは今でも豊里中の田圃で見ることができます。
豊里公民館では、今年3月に当時の三浦正弘集落支援員が「豊里の歴史を知ってもらいたい」と佐藤さんに依頼し、実際に藁におを作っていただきました。3棟を製作し寄贈していただき、しばらく公民館のロビーで展示していましたが、現在はそのうちの2棟を残し、もう1棟は平筒沼農村文化自然学習館で展示しています。実際の藁におは、直径約5メートル、高さ約3メートルもありましたが、展示されているのはその6分の1ぐらいのミニチュア版です。昔は、できあがった藁束の隙間に大きめの渋柿を埋め込み、頃合いを見計らって取り出すと、渋みが取れて甘みが増した完熟柿となり、最高のおやつでもあったそうで、まさに体にいい自然食品ですね。
そんな佐藤さんですが、25年前に社交家だった奥様を亡くされ、93歳のお兄さんはまだご健在ですが、お母さんも長生きだったそうです。老人クラブの会長の他にも3年前までは年金友の会の会長を6年間務められ、健康の秘訣は毎晩5勺の晩酌。食べ物に好き嫌いはなく何でも美味しく食べられるそうです。
「いくつまで元気に生きられそうですか?」という愚問には「明日のことは誰にも分からない。『四苦八苦』といって、死ぬことも生きることも苦労」。座右の銘はご自身で考えられた言葉「雑草、土手の芝草は踏まれて枯れるが、夜露の情けで生き返る」と楽しそうに話される姿が印象的でした。同級生は男性が6人、女性は豊里を離れた友達もいて15人くらいがまだ元気だそうですが、その中でも佐藤さんの元気さ・若さは特別なんでしょうね。車の免許証は昔から持っていないけど、バイクは今でも乗っているそうで、一番遠くに行ったのは石巻の免許センターだそうです。そんな大好きなバイクですが、さすがに来年は90歳になるので手放そうと思っているようですが、自転車はまだ乗れると意気盛ん。小学校時代は4キロ離れた学校まで通い、8年間一度も風邪を引かず無欠席だったことが自慢で、その経験が今の元気な体を作ったのでしょうね。好きな女性は「威張らない人」、ご自身も時々自慢はするけど威張らないことを心がけているようで、元々手先が器用で日曜大工で作った椅子などは今でも使われていると話しながら「実は毎日飲んでいるアリナミンEXのおかげ」と話す茶目っ気も。取材者が「そんなこと人間国宝さんが言ってると世界中に発信されたら、タケダ薬品さんが「コマーシャルに出てください」って言ってくるんじゃないですか?」と聞くと悦子さんも大笑い。終始笑顔が絶えない第一回目の取材となりました。
こんな素敵な方を豊里の人間国宝第1号さんに選ぶことができ良かったです。次はあなたの近くにおられる方かも知れません。耳寄りな情報をお待ちいたしております。(文責:集落支援員 川谷清一)
2016年03月19日 河北新報オンラインニュースより転載
「わらにお」語る農村の歴史 ミニチュア展示
登米市豊里公民館に展示されている「わらにお」
宮城県登米市豊里公民館に、稲わらを円柱形に重ねて作られた「わらにお」が三つ展示されている。
わらにおは、家畜の餌などに使うわらの保存目的で1960年代まで農村部で盛んに作られていたが、現在は全く見られなくなった。地域の歴史を知ってもらおうと公民館が地元の高齢の農家に製作を依頼し、設置した。実際のわらにおは、直径約5メートル、高さ約3メートルもあるが、展示されているのはその6分の1ぐらいのミニチュア。製作した佐藤登さん(89)は「作業の仕方を思い出しながら2カ月かけて作った。若い人にはこれがなんだか分からないだろうな」と話していた。