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『豊里の人間国宝』第10号認定
豊里の人間国宝 第10号
豊里町土地改良区初代理事長、後に豊里町長、赤生津橋架設に尽力(wikipediaより引用)
故 佐藤省三さん(竹花地区出身・昭和41年6月逝去)
今回紹介する『豊里の人間国宝』は、故佐藤省三さんです。明治26年6月1日、登米郡豊里町大字赤生津(現竹花行政区)に生まれ、生来正義感が強く郷土愛に燃え、幾多の大水害に苦しむ豊里村の窮状を訴えるべく、若干26歳の時に県知事に請願。大正9年には、28歳で宮城県土木工事請負人として登録され活躍。昭和8年からは村議、消防団長、村長などを歴任。昭和9年には、 佐藤省三さんほか3名が多額の私財を投じ、木造の固定橋・赤生津橋が豊里・桃生間に架設されました。この橋は後に宮城県へ無償で寄付され、昭和25年4月に架設された豊里大橋とともに多くの町民に利用されました。
北上川が流れる登米市には登米町の登米大橋など、もとは『舟橋』と呼ばれる「川に船を並べ,その上に桁を配置して踏板を敷いて通行に供した橋」が多く見られました。固定した橋脚がなく水上に浮きながら留まっているので,船が上下する度に橋が上下することになります。赤生津橋も豊里大橋も固定橋だったので頑丈でしたが、赤生津橋は昭和30年の豪雨で流失。豊里大橋は、昭和46年に永久橋架替工事が完成し現在に至っています。
完成した赤生津橋と建設を請け負った佐藤組の社員たち
佐藤さんは、戦後の疲弊した郷土の復興に身を挺して奮闘します。昭和25年4月、町制施行で初代町長となり、中学校建設、母子保健衛生指導、癌検診医療の充実発展など、町の発展のために様々な改革に取り組みますが、中でも道路交通網の整備に情熱を注ぎ、「道路町長」の異名が県内に知れ渡ります。
最大の功績は、三陸鉄道の敷き設に尽力し、昭和43年10月、町民の悲願であった柳津線(現JR気仙沼線:平成23年の東日本大震災で被災し、柳津から気仙沼までの間はBRTバス路線に変更)営業開始を実現させました。佐藤さんはその完成を見ることなく、昭和41年に生涯を終えますが、前谷地(石巻市)~柳津(津山町)間が部分開通、豊里町には陸前豊里駅、御岳堂駅の2駅が同時に開業。以来、市民の足として利用されています。
JR気仙沼線陸前豊里駅
同御岳堂駅(線路奥)
また、豊里町土地改良区(水土里(みどり)ネット豊里)の初代理事長としても、昭和27年7月13日から昭和29年3月16日までの1年8ヶ月、職責を務められました。
陸前豊里駅前には、佐藤省三さんの多大な功績を称えた銅像が建立されています。上記のような経歴と共に昭和40年4月、多年に渡り町の自治振興に尽力した偉功が讃えられ、勲四等瑞宝章を受章。当時、激務により体調を崩しながらも町政を掌っていましたが、翌昭和41年6月30日、病状が急変し、待望の鉄道開通式を待たずに惜しまれながら急逝。同年7月5日に町民葬が行われたことが書かれています。銅像はこの年の11月、当時の町役場他有志により建立されました。
駅前の広場に建つ佐藤省三翁の銅像
自宅でくつろぐ佐藤省三さん
写真提供 佐藤正彦氏(遺族:竹花在住)
参考文献 永山忠則自治大臣撰文(佐藤省三氏墓石)昭和41年11月
佐藤省三翁銅像銘板(陸前豊里駅前)昭和41年11月
農協通信「ふるさとを見つめて 豊里町 佐藤省三翁の銅像」
豊里町史「豊里大橋生みの親 佐藤省三」