豊里の歴史・文化
とよさと昔話(葦毛(あしげ)の馬)
葦毛(あしげ)の馬 というお話しです。
平筒沼には主がいて、その正体は大蛇だという話が昔から言われていた。
この話は、その起源ということで伝えられたものという。
昔はこの地方に、浜の方から磯物や乾物等を行商に来る人たちがたくさんいた。
この時も浜から女の行商人二人がやって来て商いをしていたが、平筒沼まで来ると、すばらしい景色だったので、ここでひと休みすることにした。
ところが一人はお客への対応があったので、平筒沼近くで待ち合せることにし、もう一人の行商人が沼のほとりにやって来た。
沼の岸辺を見ると、美しい魚が群れをなして泳いでいた。
「海の魚はたくさん知っているが、丘の魚は珍しい。それにとてもおいしそうだ。」
この魚はヤマメ(山女)といい、渓流に棲むとてもおいしい魚だそうな。
女行商人は、ざるですくったり手づかみにしたり、そのヤマメをいっぱい採り、早速塩ふりにし、たき火であぶったらいいにおいが辺りに立ちこめた。たくさん採ったので、自分の分と友達の分と二つに分け、友達が来るのをまだかまだかと待った。
「友達はまだ来ない。おいしそうでおいしそうで、もうがまんができない。一口味見だったらいいだろう。」
そう思い、一口かぶりついたら、そのうまいこと、ほっぺたが落ちるほどうまい。もう一つ食らいつくと自然に舌鼓が出る。こうして、たちまち自分の分は平らげてしまった。それでもがまんできない。友達の分だけど一つぐらいならいいだろうと、また一つ口にする。もうこうなると際限がない。
あっという間に友達の分まですべて食い尽くしてしまった。
「ああうまい。こんなうまいものは食べたことがない。もっと食べたい。」と思ったが、もう魚はない。そのうち、猛烈にのどが渇いてきた。
沼の岸辺に寄り、初めは手ですくって飲んだ。その水のおいしいこと。何度も手ですくって飲んだが、のどが渇きはいえない。とうとう水に口をつけてがぶがぶと飲んだ。飲んでも飲んでものどが渇く。しまいには、とうとう沼の中ほどまで入り込み、腰までも胸までも浸かって水を飲み続けたが、次第に体に異変が生じてきた。
お客との用事が済んで、友達の行商人が待ち合せの平筒沼にやって来た。
沼の中ほどを見ると、連れの女行商人が髪を振り乱し、胸まで浸かって一心不乱に水を飲んでいる。頭に角のようなものができ、恐ろしげな顔つきに変わり、体も二回りぐらい大きくなっている。
友の行商人が大いに驚き、連れの女行商人に声をかけた。
沼の中にいた連れの行商人が振り向き、涙を流して言うことには、
「いま、私は沼の底に引きずり込まれている。このまま沼の主になってしまうかもしれない。浜に帰って夫と子どもにこのことを伝えてほしい。」
そう言うと、女は沼にずぶずぶと沈んでしまった。
さあ、友の行商人は腰を抜かさんばかりに驚き、大慌てに荷物をまとめて浜に立ち返った。
友の行商人は、すぐに連れの行商人の家に行き、その一部始終を女の夫に語った。
夫は大いに驚き、妻がどうしても浜に戻ることができないならば、一目だけでも会いたいと、すぐに荷物をまとめて平筒沼に向けて旅立った。荷物は妻が常に可愛いがって育てていた葦毛の馬に乗せ、子どもを背負って急ぎに急ぎ、平筒沼までやって来た。
沼は何ごともなかったかのように静まりかえっていたが、何としても妻に会いたい。
平筒の堤の上に立って、妻が日頃使っていた袴や笠などが入った荷物を馬から下ろし、妻の名を呼んだ。
二回、三回・・・・。夫の声が悲しげに沼の周りにこだました。同時に葦毛の馬も悲しくいななき、沼の周りにこだました。
すると、沼の水面がにわかに波立ち、そこから浮かび上がってきたのは紛れもなく我が妻ではないか。しかし、下半身は蛇体と化し、頭も角が生えて恐ろしい形に変わりつつあった。
夫には、妻がどんな姿に変わろうとも怖いものはない。我を忘れて、浜に一緒に帰るよう妻に声をかけると、妻の言うことには、
「よく会いに来て下さった。私は、もう戻ることかないません。この沼の主となるから、どうぞあきらめて下さい。子どもはあそこの森に捨てて下さい。子どもの行く末は必ず守ります。それから、可愛がった葦毛の馬は、私の荷物とともに私に下さい。」
妻はそう言うと、スゥーと沼の底に沈んで見えなくなってしまった。すると、荷物を乗せた葦毛の馬もそれに導かれるように沼の中ほどに進み、同じように沼の中へ姿を消した。
後日、だれ聞くともなく沼の主のお告げがあったそうだが、それによると、弁天様としてまつってほしいと言う。それで、沼の東の入り江の島を「弁天島」と呼ぶようになった。また、子を捨てた上沼の平筒堤の下方を「子捨て森島」と言い、笠が置かれた場所は「笠森」となり、袴を置いたところは「袴だて」という山になって、今に名が残っている。
弁天島(平筒沼)