豊里の歴史・文化
とよさと昔話(西前御前巻の伝説)
西前御前巻の伝説
昔、岩手県南部領の豪族 照井太郎という人がおりました。照井太郎は照井堰(せき)を作るなど地方の開発を行い、地方民を豊かにするため、善政をしき地域住民の尊敬を一身に集めていた。
その妻照井御前は、近隣稀にみる背丈高、色白で黒髪のすぐれた美人で気はやさしく、なさけ深い中年の婦人であった。
当時照井太郎は佐沼城の城主として住んでいたが、佐沼城がいよいよ落城となるや、照井御前は人生をはかなみ、いち早く迫川に入水自殺をくわだてこの世を終えた。はるかに流れ流れて、西前(二ツ屋)に漂着した場所を西前御前巻(ごぜんぎ)と呼んでいる。
毎年、六月厄日(旧六月十三)にはいかに星のきらめく晴れた夜空でも、うしみつの刻になると一天俄にかき曇り、乱髪蒼白の女を乗せた小舟が笛太鼓の内ばやしに送られ迫川を
佐沼へ佐沼へと遡ると伝えられており、この日を含む前後三日間は決まって不漁であり、現今でも漁師たちは魚取りを休み、照井御前の冥福を祈っている。
・・・(涌谷町においては付近に小祠を建て、その霊を祀っている。一方、佐沼では佐沼右衛門直信の妻であるとも伝えられている。)・・・
「豊里町史より」